2011年04月

さて昨日は少し違った形でのご報告となりましたが、今日は元に戻して16日の最初で最後の磐越燃料輸送報告の第5段です。
 
会津若松からDE101124を後部補機として3両の機関車で運行してきた9292レですが、猪苗代でDE10はその任を解かれます。
ここから郡山まではDD51の重連で450トンもの石油製品を運ぶのですネ・・・・
 
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ちょうど、朝日が磐梯山を照らしはじめた、午前5時21分の到着後26分の発車するスケジュールでした。
もう少し、明るいレンズが欲しいのですが・・・・(汗)
 
759号機のアップと磐梯山・・・
 
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シャドー部のみもう少し補正すべきだったかな?と反省の画像です・・・
 
後追い画像も・・・
高架道路の下からですので、橋脚の一部が写っております。反省・・・
 
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届け、思い。届け、被災地へ・・・・

さて、今日は少し趣向を変えて、しばらく止まっておりました「DD51番号順ブログ」の更新にしたいと思います。
 
その号機は、DD51852号機・・・
DD51を撮り始めたころ、すなわち学生時代の昭和50年頃には厚狭区に所属しておりました。
何故か、石灰のピストン輸送華やかりし頃から、美祢線や山口線の運用を担っていた同区の機関車とは縁が薄かったのです。
もっと真剣に撮りに行っていたらなぁ~、って後に反省、猛省するのですが、今となっては如何ともしがたい状況。
そんな中、先日の磐越石油輸送を担当する、各地から集められた機関車の中にDD51852号機も含まれていたのでした・・・
 
なんせ、こちらは1日だけの勝負ですし、昔見た号機に再開できるのも嬉しいのですが、やはり番号フェチなオイラは多少期待もありました。
 
それがこの日の朝一番の9292レの次位に連結されているのが判った時、思わず「DD51の314両目」とつぶやいてしまいました・・・
 
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759号機の片目(旋回窓)も印象的でしたが、個人的には「852が撮れた!」との思いが強かった、この1枚。
そして、返空となる9293レではこの電化区間では先頭となりますので更に期待が高まります・・・
 
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しかし、現実はそんなに甘くありません・・・・
画像では暗さを、そんなに感じられないかも知れませんが、かなり暗かったです(汗)
ISO800でいつもの開放f=5.6に125分の1秒・・・・
肝心の番号がブレてます(滝汗)
 
まぁ出会えただけで、幸せです。
DD51の番号はもう、これ以上増えることは無いのかな?・・・
649分の314両・・・・・・
限界でしょうか?
でも、まだ出会えていないナンバーもまだ現役の仲間には在ると思うのですが・・・・・

新製 菱重三原:1867     1972.08.29 新製配備 1972.08.29 厚狭  2010.04.01 在籍 幡生機関区厚狭派出

さて今朝の磐越西線の石油輸送のご報告・・・
 
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早朝の9292レのDE10後部補機は、会津若松から猪苗代まで・・・
で、昨日アップさせていただいた画像や、会津若松での真っ暗な中での機回しの様子からは、大好きな番号が確認できなかった。
そこで、東長原~磐梯町を見下ろす丘から降りて地上で待ち構えることになりました。
やって来たのはDD51759と852の重連に、DE101124号機の後部補機に挟まれた9292レ。
759号機は元々は肥薩線で活躍していた熊本の所属機で、昨日の画像の「大畑ループみた」ってのも強ち偶然とは思えませんでした。
 
852号機も今は門司の所属だったでしょうか?
 
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こちらはもう少し引いた画像です。
70~300mmのズームですが、f=5.6と暗いのですが重宝しております。
 
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最後は後追い画像で、DE101124号機。
キャブには猪苗代での解結作業要員も添乗してますネ。

さて、今日も磐越西線東長原~磐梯町間を見下ろす丘から・・・・
 
9292レは、新津タ0101→0122新津0124→津川0215→喜多方0342→0403会津若松0440→0521猪苗代0526→0600磐梯熱海0624→0645郡山
と夜中から明け方に掛けての走行であり、朝露に濡れる急勾配区間がある当地周辺では初日に立ち往生してしまった経緯があります。
そこで会津若松から猪苗代までDE10の後部補機が付いて合計出力5750PSで450トンの石油製品輸送にあたっていたのですネ。
 
この凸凸+タキ10連+DE10の総編成13両を真横から押さえるのが、今回の第一目標。
それが出来るのはココ、とばかり早朝から待っておりました。
 
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でも15分の1秒ではブレまくってます・・・
もう少し来たコマがこちら・・・・
 
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夜明け前から、よくそんなに撮れるねぇ~、との同行いただきました荷4041レさんの冷笑にもめげず、ひたすらシャッターを切るオイラでした。
最初の東長原構内を通過する画像から上の画像で27枚目(汗)
 
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さらに進み34枚目では、昔見た肥薩線大畑ループを横から見たような雰囲気にまた興奮してしまってました・・・
つまり、この区間で昔の感覚で言う、36枚撮りフィルムを1本使っちゃった感じですネ。

急きょ、昨日より更新復活しました、弊ブログですが、磐越西線のご報告の続きを今日も行わせていただきます。
 
東長原~磐梯町間の大Sカーブ?を見下ろす丘からの撮影分・・・
4月16日午前4時52分に壮大なドラマを目撃した、といささかオーバーな表現ですが、自信の凸撮影40年の歴史の中で無かった列車。
それが今回の9292レだと思うのです。
前にDD51が重連で牽引し、後部補機としてDE10が後押しする、そんな列車は現役時代のどの地区に行っても見る事は出来なかったと思います。
 
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4400PS+1350PSで挑む連続勾配区間・・・
早朝というか、未明の磐越路を駆け抜ける45t積載のタキ1000が10両。
都合450トンものガソリン、灯油を急ぎ被災地郡山のターミナルに運ぶ任務・・・・
 
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ISO1600、絞り開放f=5.6、シャッター速度15分の1秒の手持ち撮影ゆえ、見苦しい画像はお許し下さい。
でも、こんな時間に300mmを手持ちで撮れるなんて、凸を撮り始めた頃にはとても考えられなかったですネ・・・
 
明日も同区間での9292レをお送りします。

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