2013年08月

さて当時のキハ群の中で最上級なキハはこちらキハ181系ではなかったでしょうか?
四国にはこの南風、そして予讃本線のしおかぜ。
まだ特急より急行が多く、コストもそれなりにかかる乗り物だった時代・・・

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デザインとしてもキハ82には一歩譲りますが秀逸なデザインと思っておりました。
撮影ポイントは昨日のキハ20と同じ場所で撮ってますネ。
もう少し動けよ、って感じで続いてます(汗)

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上の画像の先頭車はキハ181-37で、こちら側の最後部はキハ181-43と読めました。
キロは前から2両目、って事は高知、松山側になり連絡船からは遠い位置だったんですネ?・・・
グリーン車に乗る方は連絡船もグリーン船室でその先もゆったりと乗り換えるから、なんでしょうか?w
高松での乗り換えは走ってばかりなオイラには判りませんww


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今日は木曜日。
今週も後半になっちゃいました。
8月も残りわずか・・・・・
さぁ、頑張りましょうww

さて、当時の四国の国鉄線上には電化路線は無く、どこへ行ってもキハ、キハ、キハ・・・
もうDMH17サウンド中心にカランカランと乾いたディーゼル音が響きまくってましたw

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ここでも、急行あしずりを撮ってました。
でも、ちょっと変?ww
キハ65、58、58の付属編成のみの3連・・・
朝一番に高松を出るのってこんなんでしたっけ?・・・・

普通列車も撮ってます♪

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キハ20の2連、かな?・・・
貫通扉のステップに、キハ20378と読めます。
朱色にがっかりしたもんでしたww

明日も昭和56年の四国の画像でお届けする予定です。


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もう少し昭和56年、学生時代最後の訪問となった四国の画像を続けますネ。

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こちらも何度か使ったかも?って画像です(汗)
今回一緒にスキャンしましたが、DE10の42号機がDF50と客車4連を牽いてやって来ました。

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この42号機も前年の配置表によれば富山第一所属だったとか・・・
DF50の置き換え用に全国からかき集められた1両だったみたいですネ・・・


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さて今朝の箸蔵画像?
急行土佐がやって来ました。

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キロが2両めにあるので、高松行き、でしょうネ。
基本編成に何か付いてるみたいですネw

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後追いしてみると、キユニ26-13と読めます。
補強板は板だけでなく、更に貫通扉の下に向かって大きくなっているタイプです。

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行っちゃいましたw
高性能ズームとデジイチがあれば、と思える画像でしたww


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今週もスタート、しました。
8月もいよいよラスト、ですネ・・・・

さて再びの土讃線箸蔵への移動を行ったみたいで、高松駅での早朝?画像のあとは、このDF50牽引貨物列車となってました。


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当時四国で長く活躍したDF50やキハ55、26、25、20系統の前面には画像のような補強板が溶接されておりました。
これを不細工と見るか、地域のカラーと見るかは、人それぞれですがw・・・

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日の丸写真、オンパレードですね(汗)
当時はこれで良いって思ってました。
今でも変わりませんけどネ(苦笑)

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ワラ1とワム60000の間にホキ800が挟まってます。
今は事業者である旅客会社がホキやチキを扱ってますが、当時は国鉄一家。
貨物の後ろに付けとけ、的な運用が各地で見られたもんですネ・・・・


ゴミゼロ倶楽部も宜しくお願い致します・・・

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