2016年01月

昨日の更新が飛んでしまいましたので、今日は臨時便で(汗)

さて阪堺(当時は南海)シリーズです。

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終点「浜寺駅前」の昭和55年くらいの風景。
車両は、151、152に続きまして、153です。
こちらも昭和2年生まれの古豪でした♪
1912(明治45)年の開業で、この4月で104年、ですか?
凄いですねぇ~・・・


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さて先日スキャンした阪堺電車(当時は南海電車)の続きです

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最初の日にモ151をお出ししましたので、今日はモ152・・・
151と同じ塗装みたいですね。
ドアが開いているから茶色かも?と思いましたが、みどり色のようです・・・・

隣には「雲」塗装の165が居ますね。
これは当時の立石電機(現、オムロン)の商品名を出さずに企業のイメージを広告として表現したもの、だとか。
なんだか、ほんわりしたイメージですねw
151や152のみどり塗装は、雲塗装の後で塗り替えられたものだとか・・・
いろいろと勉強になりますww


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さて先日スキャンした近畿地区の画像の中から、現在の阪堺電車をお届けしております。
昨日のモ240も保存候補だった、ってのは昨日番号等を確認してWikipediaで発見したもの。
感謝しております、文明の利器に・・・・

そんな中、125って番号の車体の画像も掘り出せました。

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車庫に入れてもらった時のもので、両脇に平野線で引退となった(なる?)205形がズラッと並んでますね。
で、この125は南海電車時代の1967年(昭和42年)に大阪市電の1601型を譲り受けて改造された、らしい・・・
1601型は戦時中に56両被災し廃車となり残った44両+再復興の1両を足して45両で型式整理した、ともあった・・・・
つまり、この125の元は大阪市電の1612であるが、それは戦前は1662として大阪市内を走り、そして南海に来て改造され125となった。

更には2000年に形式消滅し、全て廃車となったが、制御装置、ブレーキ、営業機器が再度601形に再利用されている、と言う事です。
で、この125の機器は現在604として使われている、らしいです・・・
素晴らしいなWikipedia・・・・・
助かっております。


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昨日、お贈りした151が走っていた頃(昭和55年以前、かな?)の阪堺線。
昭和55年だと11月27日に平野線が廃止されその後12月までは南海電車の一部で、同月以降現在の阪堺電軌軌道となったみたい。

で、今日は205型かな?を・・・

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モ240は平野線廃線後、平野駅駅舎とともに保存されるように考えられていたそうで、しばらくは平野駅跡に留置されていた、とか・・・
しかし、用地の確保は資金難から、結局は旧平野駅とともに解体された、そうです・・・
大型の151や161と違って可愛いスタイルだった、と思いますが、この角度では不明ですよね(汗)


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今週は積雪の中でスタートとなりました・・・
朝から車の掘りだしに、送迎時のびしょ濡れに・・・・(涙)

もう散々な月曜日となりました。
さて以前、昔画像と題して蒸気機関車の現役時代の画像をスキャンしてお届けしました。

その時に一緒に発掘した南海電車の路面線の画像が出てきました。
今じゃ、阪堺電気軌道、って会社名ですよね?・・・

最近、やたらと露出している昭和3年生まれのモ161の画像は有りませんでしたが・・・・

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それより1年古い、昭和2年生まれのモ151がありました。
駅名票も「大小路」と読めますね。

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学校の後輩さんに「ドアが茶色では無いので、雲カラーから戻った頃ですね」との事でした・・・・・
この頃、国鉄一辺倒だったのでなぜこれを撮ったのか?さえ不明ですww


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